加藤 知紀(信州大学大学院)
これは幼少期の私が感じた、地方都市から見た東京への憧れを風景化する建築の提案である。
私が住んでいた青森では「都会の流行」というものが来ない。友達同士で噂になっていてもそれはいつもテレビや雑誌などで取り上げられるのみで実感がなくどこか別な国の話のように感じた。しかしそんな都会への憧れを田舎に運んでくれる人たちがいた。私たちはそれが出現すると我先に向かいそして外で遊ぶなりした。その憧れは地方で生活する子供なら誰でも体験することだった。それが今の歳になってはなつかしいふるさとで体験したことである。そんな体験をしたふるさとを私は今でも大好きである。そのふるさとへの愛着を、私が今住んでいる長野に住んでいる子供に定着させたい。そして長野に住んでいる大人にもそのなつかしさを思い出して欲しい。地方都市でしか感じられない、地方都市だからできる、そんな「ずっといたくなるふるさと」を提案する。
ふるさと的なものとして、都会からやってくる新しいものを眩しく感じる、その眩しさに着目した点は、素晴らしく感じた。新しい物の到来を屋台に象徴させて、歴史的な落ち着いた街と対比させた。また、小さく軽い屋台、それが生み出すマイクロパブリックスペースは、善光寺周辺の、近代化に伴いへた地が多く生まれていったその歴史性ともよく合致した提案だと感じられた。
The project is located in a town that is typical, and anonymous, and has no special public spaces. To create a special identity for the town, the designer suggests the creation of small public spaces that will result from the arrival of small ‘yatai’, food-waggons. These ‘yatai’ will integrate with the existing infrastructure - for example, they can be located next to an existing street-light, or next to an existing bench, or next to an electricity pylon from which it can take electricity. These special locations will be the places where 3 or 4 friends will meet, and chat, and they will be the places that the users remember in the future.
ふるさとらしさの中には、昔からそこにあるものだけでなく、例えば屋台のように遠くから新しいものや珍しいものを運んでくるものも入っているのだという原体験に基づくアイディアが素晴らしかった。具体的な提案においても、その原体験とダイレクトにつながる形で空間が生まれていたらもっと良かったと思う。
個人とまちとの関係を考えるとき、屋台を使って、個人がまちへと出ていきそこで自分と周りの人や場所と関係を築くことができるのが良いなと思った。まちの中に、少しずつ自分と関係する場所が増えていくのが面白い。いくつかの屋台が出現して、それらがなんとなく人々の頭の中でつながっていくと、町全体が自分たちと関わりのあるものだと思えてきそうだと感じた。
屋台へのイメージは誰もが好印象でまた一瞬にして賑わいとコミュニティ空間を作り上げる効果を持っていると思います。またその空間で過ごす時間は自分の思い通りであり、心身のリフレッシュや新たな人とのつながりを生み人間性を豊かにします。「ふるさと」から「屋台」への発想はとてもユニークですが、少しの工夫と行動から大きなコミュニティに展開し低炭素化社会や地域発展という社会問題に大きく切り込む素晴らしい提案です。