加藤 麻帆(横浜国立大学大学院)
ふるさとという概念は近代化によって生まれたものであるという。農村から労働者として都市へ出稼ぎにきた若者たちは、育ってきた馴染みの深いまちを離れ、都市で忙しく過ぎる時間の中で、はじめてふるさとを想う。近代において農村で育ち、都市に憧れ上京することにより、生まれ育った農村の風景や家が時間と空間の関係性によって生まれたふるさとであり、その感覚が多くの人々の共通認識であった。しかし、現代においてふるさととして思い浮かべる場所は必ずしも農村ではなく、いわゆる大都市がふるさとだという人も、郊外住宅地のようなどこにでも存在するようなまちで育ち、ふるさとを感じる場所がない人も多くいるだろう。ふるさとという概念も、住まい方も多様化する中で、人々の心の拠り所となるような、安心感や帰属意識を持って暮らせる、なんとなく懐かしい、帰りたくなるような、ずっといたくなる新しいふるさととしてのまちを考える。
外の人にとっても懐かしさと親しみやすさを感じさせる場所を、大須を舞台に考えるプロジェクトである。歴史的なものと新しいものの混在、立体路地、多種多様な住居形態など、シンプルな計画ながら奥行きがある。ワンアイデアとはいえないその密度の高さと深さが高く評価された。
In this design, new facilities are integrated into the existing grid of large apartment buildings, in a centre-city location, in order to reduce the scale of the district and make it more suitable for residents of different types. The intention is to form a community, and for the residents of this changed area to clearly feel that this is their ‘Furusato’. This proposal is ambitious, and it would be fascinating to see further information about how building materials will be chosen to respond to the different routes that different people will use, and how the character and materiality and scale of the new architecture will respond to the different ways of use. This is a very interesting, and realistic proposal.
ふるさとというと、生まれ育った場所や田舎の風景を思い浮かべてしまいがちだけれど、例えば外からきた人にとっても、あるいは大都市であってもそこがふるさとになり得るだろうか。なり得るとしたら、そこに建築はどのように関わることができるだろうか?という問いの立て方が素晴らしかった。大須という名古屋の中でも特殊な場所を選んでいるので、大須ならではの暮らしの風景や、参加する人々のキャラクター、あるいは提案された回廊状の空間を実際に歩くとどのような体験がそこにあるのか、といったことがもっと具体的にイメージできるとより良かったと思う。
ふるさとというのは、必ずしも生まれ育った場所だけではなく、まちと自分がどのような関係を結ぶのかということで生まれ得るものなのかもしれない。昔から住んでいる人・外からやってきた人に関係なく、経路に着目し、まちが自分の暮らしの延長として経験される提案になっているのが良いと思った。どう経験されるのかということがもっと具体的に表現されているとさらに良かったと思う。
「時間」の多層性や連続性が「モノ」の多層性や連続性を支配し「モノ」「コト」両面から「ふるさと」として五感を震わしていく、そんな「なるほど」,「わくわく」を感じる提案です。また大きな道路による栄との断絶と小さな路地の連続性による多様な価値創出の対比表現は、とても面白い。昨今ストック住宅問題が叫ばれている中、路地で建物を結ぶ戦略は、新旧の建物の良さをお互いが引き出しその価値を次世代へ存続させていく、低投資,低炭素の素晴らしい有効手段です。