松野 祐太(東京大学大学院)
安藤 理紗(東京大学大学院)
自分が成長する中で想いの詰まった場所がふるさとと呼ばれる。しかし、ふるさとになり得るのは場所だけだろうか?色褪せたボールが部活の思い出を呼び起こすように、ものにも人の想いが詰まっている。想いの詰まったものは人にとって一番身近なふるさとだ。私たちは人の想いが詰まったものが集まる「もの・想いの広場」を提案する。
ものづくりのまち大田区蒲田に生まれるもの・想いの広場には周辺の住民/店舗/町内会などが想いの詰まった特別なものを持ち寄り、ものが集まる。そのままでは使えないものは町工場の力を借りて加工され、広場で生かされる。
もの・想いの広場で人の大切なものに触れるとき、ものが宿す人の想いが感じられ、広場で過ごすうちに誰かにとって特別だったものは自分にとっても特別なものになっていく。自分の、そしてみんなの特別なものが集まったもの・想いの広場はずっといたくなる故郷になっていく。
ふるさとイコール思い出、というところから、思い出イコール物となり、物の重要性に着目した提案で、さまざまな思い出の物が集積する空間を提示した。ふるさとの中心に物性を置くその即物性と、物の記念碑性に着目した点、その中世的世界観から、私は今回もっとも高く評価したが、しかし他方で、作者の物へのこだわりのなさもプレゼンテーションに垣間見られ、一等賞を逃した。
This proposal suggests that the possessions of a town might be seen as ‘common property’. When the townspeople have no further use for furniture, or when the elements of their buildings are replaced, the community can use the old items for the construction of shared elements. For example, the designers’ drawings show how a bookshelf and the steel-frame of a children’s play-swing can be transformed into a performance stage where the people can entertain each other. The aesthetic of the town would constantly change as the residents discard different elements.
人間が愛着を感じたり、懐かしさを感じたりするものはなにか?と考えたときに、それは「もの」ではないかと仮説を立て、提案につなげているところが良かった。モノによって組み立てられていくみんなの場所のイメージが豊かに描かれたメインパースも魅力的であった。ものの集まり方を人々の活動まかせにするというよりは、こう集まるべきだという空間とともに示されるとさらに良かったと思う。
「もの」に着目したアイディアの独創性が素晴らしかったと思う。また描かれているパースも不思議な魅力に溢れていた。ものに蓄積された個人の記憶や思いを含めて価値とするのであれば、その個人に属する記憶や思いをどのように隣人や他者と共有できるものにしていくのか、そこに空間的なアイディアや暮らし方の提案が必要だったのではないかと思う。ものを通して、個人の記憶や生き方が地域の「共有知」として引き継がれていくと良いなと思った。
「ふるさと」を「もの・想い」と位置づけたのは、本作品ただ一つでした。身近で簡単に手に入りそうな表現ですが、それを「ふるさと」と感じるには、地域のネットワーク,コミュニティから生まれた伝統文化や慣習があってこそのものと思います。そこには形式にこだわらない価値観を共有できる人のつながりがあり、そこから豊かな発想が生まれます。LCCM(ライフサイクルカーボンマイナス)がグローバルに求められている中、こういった 地域ネットワークによる「もの」とコミュニティ存続は、社会問題となっている伝統文化存続や地域活性化に対する必然の取組に思えてきます。